ぶぅたんです。
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家紋以外のデザイン
スマッシュぶぅたん ハローちゅうたん カバ 牛豚鶏 ハープ奏者

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家紋作図のルールとは?

AとBとを見比べて、その違いを考えたとき、Bタイプには文字の筆順に作図ルールの規則性がありそうに思えてくる。
A B A B

ところがである。私の知る限りでは、こちらにはBタイプが存在していない。

目下、この違いについて明確なルール付けが分からないでいる。

原稿がこうなっていれば、これを紋章化するにあたって悩むことはない。
この場合なら「紋割り方」さえ考えずに済みそうだ。
しかし、文字紋で次のようになっていた場合、紋章上絵師でもない私は、果たしてAタイプかBタイプか、どちらで作図すべきか悩まされることになる。
(2016.4.11)
染め抜き紋・・染め下生地の生地白で紋を表す
・日向紋
・中陰紋
・陰紋

摺り込み紋・・着物の柄の一色を使ったり、地色の共濃色を使って染める(着物の地色との対比で、染め抜き紋では目立たない場合などに用いる。染め抜き紋より格下となる)
上記は京都工芸染匠協同組合「キモノ総合辞典」の「家紋」からの抜粋です。

同ページに「紋と輪の関係」の項があった。
>標準的な太さの輪を「丸輪」と呼び、紋の直径の一割(女性用なら2.1ミリ)とされており、丸輪の倍のものを「太輪」、半分のものを「中輪」、そのまた半分を「細輪」、さらにその半分を「糸輪」といいます。

泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」
・一般的には紋の大きさの九分の一程度の太さの輪を用いることが多く、この輪を特に丸といいます(P18)
・紋を目立たなくさせる方法として、仰仰しい丸を細くしてみる。直径の十分の一ぐらいの太さのものが「中輪(ちゅうわ)」、それより細いのが「細輪(ほそわ)」です(P20)
泡坂妻夫著「家紋の話」
・・江戸中期ごろの丸は、かなり太かったことが、これで判ります・・
二つの紋帳には、五十余年の開きがあります。その間に・・わずか紋の輪ですが、それを見比べていると、江戸文化の美意識が変わりつつあることが判ります(P102)

紋を囲む輪は、その太さが直径の九分の一より、やや太めのものを「丸」といいます・・きちんと限定しなかったところが職人の智慧だと思います。限定しなければ融通がききます・・
一の字ですとか十の字・・釘抜や石といった、ごく簡単な紋のときには、丸を太めに描いた方が全体のバランスがいい。反対に中が複雑な形の紋のときには細めに作図する方が美しく見えるのです(P104)

家紋関連の本を多く読んでいると、様々な食い違いがあることに気づきます。丸の定義でも東京(泡坂さんは東京神田の紋章上絵師の家に生まれた)と京都では完全一致ではありません。どちらが正しいのかということではなく、これは伝統文化の違いであって、どちらであっても構わない「郷に入(い)っては郷に従え」だと私は思うのです。

「江戸紋章集」(初版は昭和二年)の序に
「江戸紋章集」は・・江戸及び東京紋を中心とし京都紋、その他を併せて上梓したものであり・・。
「紋章」は、造るのではなく伝わるものです

と書かれています。東京紋と京都紋には多少の相違があるのです。ただ、現時点でどうであるか?
私は勉強不足で答えられません。(2016.4.17)
家紋の三つの描法
素(す)描き
蕊(しべ)描き
地抜き
摺込紋
染め紋
線だけで形を描く 白地の旗や幕、提灯などに紋を描くときに用いる。特に衣服の紋は型紙によって染料を摺込むので摺込紋ともいう。
生地が白ではなく、黒や色無地の場合、石持ちの中に同色の地抜きを入れる。
衣服につけられる一般的な描法。色無地や小紋地に白く紋が浮き上がる。
以上、泡坂妻夫著「家紋の話」参考に作図・作表した(2016.4.11)


以下は森本景一著「家紋を探る」より抜粋
紋章の表し方には三つの描法があります。
・素描き(すがき)
・地割り紋(摺り込み紋、地抜き紋)
・染め抜き紋

解説
【素描】 線のみで表します。明治後期までの紋帖や武鑑などの文献のほとんどがこの描法です。
【地割り紋】 紋章を線を使わずに表す描法です。紋章を表す面と面の間の余白である「割り」を「線」と仮定するのです。紋章が「見えない線」で表される。袱紗、風呂敷、のれん、幕、旗などの印(しるし)染め、提灯、墓石などがこの描法。着物類に施す「摺込み紋」「地抜き紋」などもこの類。
【染め抜き紋】 白く染め抜かれた紋場に上絵(紋章を表す線)が描かれます。明治後期から現在までのほとんどの紋帖がこの描法です。
(2014.10.10)
(「地割り紋」解説に一部加筆した 2016.4.13)


このページで紹介している家紋は、上記の私の解釈が正しければ、黒色の家紋は「染め抜き」であり、白色の家紋は「地割り」の描法で作成されていることになります。ですから、白色の家紋はそれが描かれた生地の色が「見えない線」の色になるわけです。(2014.10.10)

本日(2016.4.11)、上記を読み直すと、
>黒色の家紋は「染め抜き」であり、白色の家紋は「地割り」の描法で作成されていることになります。
この部分は、どうやら私は勘違いしているというか間違っていたようです。 染め紋(泡坂さんのいう)と染め抜き紋(森本さんのいう)との理解が不十分であることが分かりました。まだまだ修行足らずです(^0^ゞ
正しく理解できた日に、本稿は更新します。
有難いことに、本日(2016.2.4)未明、違い釘抜きの作図法のデザインが売れた!
購入者さんに深謝 m(_o_)m
これを機に、このデザインを見直してみた。すると、ちょっと気になることがみつかったので、「釘抜き紋」の稿に手を加えたので、ここにも掲載してみた。

不正確に描かれた紋章は美しくありません。長い年月をかけて、勝れた美意識によって完成された紋章の形は、ゆるぎないものです。それを正しい姿で伝えてゆこくとが大切だと思います。 形の基礎となる作図を紋章の「割り出し法」と言います。紋章上絵師の手によって、長い間継承されてきた伝統技法です。(泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」)

違い釘抜きの作図
(1)違い釘〆割
・「平安紋鑑」「紋之泉」「紋の志をり」・・・廻せし分廻しを上下を七分一づゝちゞめ其分廻しを左右に立て輪違いを作りで割るなり
・「紋章大集成」(吉沢恒敏編著)・・・直径の七分の一を上下減らす(割り出し図は上記各紋帳と同じ)
これを私の解釈で図示してみた。
基本円の上下七分一を求め その分廻しを左右に立て輪違いを作り それぞれ同心円で小さい輪違いを作る 各円に内接する隅立ての正方形を作る 小さい方の円でも同じことをする 片方の釘抜きを作る 違い釘抜きの完成


【追記】上図(2015.8)の場合、内円の半径がどこなのか明記してないことに気が付いた(2016.2.4)。
そこで、赤円の中心を通る垂線(下図の黒色破線)が隣りの赤円に交差する点までとして、作図したのが下図である。
因みに、上図の場合は水色線がこの破線に相当する。

作図してみた結果、上図に比べると細い「違い釘抜き」となった。
どちらを選ぶかは利用者の好みで良いと思うが、誰が作図しても同じ形状になる点では下図の作図法が優れていると言えるけれども、作図者のセンスを尊重するという点では作図者に自由度を与えることになるので半径の長さを明示しない上図の方が優れている。この境地に至ったのは私の成長の証か。

そう、多くの紋帖の巻末には「紋の割り方図」が掲載されている。しかし、それは懇切丁寧に図示されてはいない為、初心者には親切な図説とは言えないものばかりだ。そもそもが紋帖の読者層を初心者に想定してはいないのだから仕方がない。この視点に立てるようになるまでに、私の場合、三年ほど必要だった。家紋を始めた当初は紋割り図の事も知らずにいたのだから、お粗末な話だ。赤面の限り。もっとも今に至っても難解な紋割り図が私にはあるのだが・・、教えを乞う先輩がいないのである。独学は時間ばかりかかっていけない。

さて私が思うに、違い釘抜きの場合は、釘抜きの太さには自由があるのだろう。
しかし、全部が作図者の自由になるわけではない。守らなければならない構図は左図までの部分であろう。
・基本円(正円)の上下1/7を減らした直径の円で輪違いを描く
・その輪違いは基本円に内接しており
・隅立ての正方形は各円に内接していること
これらの点を厳守した上において、釘抜きの太さには自由が与えられている。
これが現時点(2016.2.4)での私の結論である。ただ今後さらに私の家紋の知識が増せば、この結論を見直すこともあるだろう。
*追記の終わり*
(2)八つ割り
・作図にあたっては、泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」参考にした
先ず隅立ての正方形、次にこれに内接する平の正方形 四等分された正方形の中心点を結び、16個の正方形に 一番上と一番下の正方形の左端を結ぶ。同様に右端を結ぶ(2本の赤色垂直線) 赤の垂直線と基本水平線の交点をそれぞれの中心にして、基本円に片側が内接する2つの円を描く 同じ中心で、隣の円が基本対角線と交わった点を半径とした円をそれぞれ描く これらの円に内接する隅立ての正方形を描く 違い釘抜きの完成

違い釘抜きの作図
平安紋鑑 八割り作図


2016年大河ドラマで「眞田丸」始まった。真田の赤備えの甲冑に因んで「真田六文銭」赤Tシャツどぞ!
これって便乗・・
買ってちょうだい
<両面プリント>注文・・
白ライン付 白色 黒色

<正面プリント>
白ライン付 白色 黒色

分廻し(コンパス)と定規で描く以下の作図にあたっては、主に泡坂妻夫著『卍の魔力、巴の呪力』と『家紋の話』を参考にしている。

また、以下の紋帖も閲覧しているが、多くの場合で同じ図柄、解説である。もっとも作図法なので同じであっても当然であろうが、作図過程にはいくつかあっても良さそうな気がしないでもない。その意味では泡坂さんの著書は非常に興味深いものがある。
『平安紋鑑』の「紋の割方」、『紋之泉』の「紋割方」、『紋の志をり』の「紋割方の法」、『図解いろは引 標準紋帖』の「紋割方」、『紋章大集成(吉沢恒敏編著)』の「割り出し方」、その他「江戸紋章集」等。


三ツ割 (基本円の上下または左右で三ツ割を行う事で六ツ割となる)
半径:基本円と同じ
中心:基本円と垂線の交点(下方)
円同士の交点二点と、基本円と垂線の交点(上方)で基本円が三等分される 三ツ割の各点を結ぶと正三角形になり、その底辺は基本円の半径を二等分する

五ツ割
半径:基本円と同じ
中心:基本円と垂線の交点(下方)
半径:緑の線
中心:垂線と水色の水平線との交点
赤線の幅にコンパスを広げる 基本円と垂線(上方)の交点を起点にその幅で基本円を割っていく

八ツ割
半径:基本円と同じ
中心:基本円と垂線の交点
半径:基本円と同じ
中心:基本円と水平線の交点
水色円同士の交点を対角線で結ぶ

十割
基本円を三ツ割 その二点を結ぶ
(基本円の半径を二等分する点を求める)
その点から基本円と垂線の交点(下方)までを半径とし、その交点に中心を置いた円を描く 基本円半径の二等分点と、基本円と新たな円との交点とを結び(赤線)これを ab とする 基本円と垂線の交点(上方)を起点に ab の長さで基本円を割っていく 正十角形、正五角形完成


「三角形、四角形を基本とする紋章の場合でも、実際は円を六つ割り、八つ割りにしてから作図してきました。五角形のときも同じです。円を十割りにすることが多いのです。それならば、最初から十割にしてしまおう」(同書P160)

十割りで正五角形を作図する場合、「円を切るコンパスが狭いため、精度は五つ割りより落ちる」(同書P160)と指摘されている通りだと思います。これは何も手書きに限らずPC作図でも言えることで、かつ、PCで作図画面を拡大して正確に描けば描く程、別の意味で誤差が発生します。例えば10cmを三等分しようとしても数値的に割り切れない事が表面化する類のものです。しかし、目視上ではほぼ正確に三等分できます。これは端数を作図の線幅が呑み込んでしまうからです。さて、今回のab線については、ab x 100.75% 程度に調整しないと円を綺麗に10等分できませんが、だからといって、泡坂さんの作図方法が使えない事はなく、家紋作図レベルにおいてはまずまずの精度であると思います。(2015.8.23)

紋の割り方 六つ割り 三つ割り 十割り 五つ割り

抱き柊に鳥居

左図が「平安紋鑑」に掲載されている図案である。作図しながら疑問に思った部分が中央図に示したAとBである。

まずはAについて。”抱き”と言えば通常は右図のように分離して描く。最初は印刷機の精度によって(もし原図を縮小しているならその過程で)原図は分離しているのに合体した状態でプリントされてしまったのか?と思ったが、その図案の上部三か所とも分離してプリントされていることを見ると、やはり何か意図があるのだろうと考え、まずは合体した状態で作図した。

次にBについては、これは単に製版過程での精度によって左側の葉だけに葉脈(蕊)が入らなかったように思うが、故意に描いてないのかも知れない。

AとBの真相がどうであれ、「抱き柊」の中に「鳥居」を置けば「抱き柊に鳥居」という呼称にはなるので、自分の解釈で作図し直したのが左図である。いつの日かその真相が判明次第、必要に応じて図案を修正したいと思う。(2015.5.28)
石持地抜き(こくもちじぬき)

・石持とは地色に染め抜かれた白い円のこと。地抜きとは地色の色を使って紋を描くこと。(泡坂妻夫著「家紋の話」)
・石持ちのもとの意味は「餅」であり、白いのを「白餅」、黒を「黒餅」といった。
白餅は「城持ち」、黒餅は「石持ち」(石高を持つ、加増されるの意)にひっかけて、武家では縁起いいものとした。だが紋章上しだいに区別をなくして、「石持」の字が双方を代表した(高橋賢一著「大名家の家紋」)
(2015.2.25)

家紋の切り紙

折り紙で家紋を作ろう!
この本に紹介されている通りに折り紙を折って(三つ折り、四つ折り、五つ折り等)、そこに家紋の一部分の下絵を描いて、その線上をハサミで切って折り紙を広げると、さぁ不思議!! 家紋の一部分しか描いてないのに完成した一つの家紋が出来上がります。お試しあれ!
 
【歌舞伎(かぶき)】
庶民層まで家紋の使用が盛んになった江戸時代、身分を問わずに人気を集めた娯楽が歌舞伎である。現在では伝統芸能として高尚なイメージが強い歌舞伎だが、当時は実際に起きた事件を題材にした大衆演劇であり、その猥雑さが生み出すエネルギーは見る者を熱狂させた。(宝島社「家紋と名字」)

家紋をクリックすると図案通りのアイテムページに、
屋号をクリックすると図案とは白黒が反転したアイテムページに移動します。

三升 四つ花菱 変わり揚羽蝶 重ね扇に抱き柏 隅切角に銀杏
成田屋 高麗屋 播磨屋 音羽屋 中村屋

丸に二つ引 桐揚羽蝶 八重沢瀉
松嶋屋 萬屋 沢瀉屋

** 関連 **
中村座
芝居小屋櫓紋
中村勘三郎
(六代)


【紋の割り出し方】 泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」参考

「梅花」の作図法(円を十割りで描く正五角形の図形)
(例)梅・桜・桔梗などのように五弁の花びらを持つ紋章を作図する時の基本形となる。この五角形が基本となる。これが逆さになることは絶対にない。

「梅鉢」の作図

「割り梅鉢」の作図


「隅立て四つ目」の作図法(八つ割り)


「丸に違い鷹の羽」の作図法(八つ割り) ☆呼称について:「たかのはね」ではなく「たかのは」である
丸の太さは紋の大きさの1/9程度が目安
*紋の大きさは、紋帳の「紋の割り方」に記述があって、紋の形状によって測る位置が決まっている。
・違い鷹の羽の作図例
水平・垂直線の交点を中心に持つ基本円を書くと四等分される 基本円と同じ半径で4つの円を書く。各円の中心点は基本円と水平・垂直線との交点 円と円の交点を対角線で結ぶことで基本円が八等分される。
次に半径を求める為に赤線を引く
赤線と斜め線の交点から基本円の中心までを半径とした円(必要なのは円ではなく半径の寸法)
その半径で対角線上に中心を持ち基本円に内接する円を4つ配置する 違い鷹の羽の輪郭ができる 羽の芯を各二本引き
次に最初の蕊を書く
この蕊と羽の芯を基準にすると蕊の位置が等間隔で次々と自動的に決まる
泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」参考
「七つ割二つ引き」の作図法

「丸に二つ引き」の作図法

「丸に三つ柏」の作図法

「糸輪に三つ割り蛇の目」の作図


中陰梅鶴(見立て紋・擬態紋)
梅の花で鶴を表現したもの。

紋が完成された江戸時代の文化は「見立て」という創作法が欠かせませんでした。見立ては一つのモチーフを他のものになぞらえて表現することで・・・紋の世界にも、見立てが頻繁に現れます。・・・紋は堅苦しいものだという先入観はたちまち吹き飛んでしまうでしょう。(泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」P134)

さて、この「中陰梅鶴」も上図と同様に実は正円にピタリと収まっている、というかそうなるように作図(2013/7/3)した。
家紋は全部ではないが、多くの場合、正円にピタリと収まるように描かれている。

「武田菱」の作図
先ず菱の高さを求めたら、六つ割りを利用してその菱を四等分し武田菱を作図する。(2015.9.3)
基本円を六つ割り 赤線は基本円の半径を二等分する 赤線と菱の交点を対角線で結ぶ 菱を構成する線を太くする

「菱に酢漿草」の作図

「菱に片喰」の作図(2013/7/12)に当たっては、泡坂妻夫氏の以下の著作を参考にした。
・菱の作図は「家紋の話」の’伝統的な菱’P(265)を、
・酢漿草の作図は「卍の魔力、巴の呪力」の’丸に片喰’(P148~150)を参考にした。

「丸に青海波」の作図


加賀百万石
寛永十一年(1634)八月四日、第三代将軍徳川家光が加賀藩第三代藩主前田利常に与えた朱印状によれば、119万2760石であった。
次いで同一六年(1639)六月二十日、利常が致仕を機に、長子光孝に80万石を与えて本藩を継がしめ、次男利次に10万石を与えて富山藩を、また三男利治に7万石を与えて大聖寺藩を、それぞれ分封して独立させ、自らも養老封として22万石を領したことから、本藩の石高は減少することとなった。
このうち養老封は万治元年(1658)十二月二十八日、利常の死去を受け第五代綱紀が継いでいる。このあと、寛文四年(1664)四月五日、徳川第四代将軍家綱が加賀藩第五代藩主綱紀に与えた朱印状では、102万5000石となっている。約102万石で、いわゆる加賀100万石の名はこれから生じたものである。(清水隆久著「百万石と一百姓」)(2014/9/2追記)(2014/9/16 原文は石高が漢数字表記であるが、読みやすいように、これを数字に書き直した)


藩祖利家の家紋は星梅鉢

・前田利家時代の旗紋・家紋は「素梅鉢」(我里注:星梅鉢のこと)に終始しているようである。(高橋賢一著「大名家の家紋」P227 昭和49(1974)年6月15日初版)

・藩祖利家の時、すでに梅鉢を家紋にしていたが、・・・その梅鉢は梅の花をデフォルメして、五輪の花びらを大きな丸で表現し、真ん中に小さな丸を置くデザインで、星梅鉢と呼ばれるものであった。この利家の星梅鉢は前田家の発展に伴い変化する。(楠戸義昭著「日本人の心がみえる家紋」P147 2002年12月15日初版)
(2013/8/30)


<< 加賀前田家系図 Ver. 1.3 (2013/7/4) >>


・加賀藩第二代藩主・利長の家紋を除いて(利長の家紋は今のところ楠戸義昭氏の先述の書籍でしか確認できない為)、全て家紋を差し替えた。この時、沼田頼輔著「日本紋章学」の図案を参考に、かつ、泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」の梅鉢の作図法に則り(紋の割り出し法に従って円を十割りにするところから始める)、さらに加賀前田家一門の梅鉢シリーズの一環としての統一性を意識して新たに作図したものである。

・光高が急死した正保二年(1645)の六月十三日、綱紀は将軍家光の命によって父の遺領をついだ。時に年わずかに三歳であったから、小松(石川県)に隠居していた祖父利常が政務をみるように命ぜられたのである。このときの領地は八十万石であった。
加賀藩領は、俗に百万石といわれるが、寛永十一年(1634)の利常にあてた家光の領知状では、加越能三カ国で百十九万二千七百六十石となっている。しかるに、同十六年に利常は八十石を長子光高に譲り、自分は小松に退老して新川郡(富山県)及び能美郡(石川県)の一部で二十二万二千七百六十石をもって養老領とした。
同時に、次子利次に十万石、三子利治に七万石を与えて富山・大聖寺(石川県)両藩をつくらせ、東西の支藩とした。
綱紀は、この光高の遺領をついだわけであるが、万治元年(1658)に利常が死んだとき、その療養領は、後述する近江国(滋賀県)の今津・弘川両村とともに綱紀の有に帰し、合計百二万五千石余となったのである。
(若林喜三郎著「前田綱紀」より)

追記(2013/8/30)
・Wikipedia の「前田利家」の項によれば、七日市藩初代藩主利孝を四男でなく五男としている。→ こちら
四男 利常(1594.1.16 - 1658.11.7)加賀前田家三代
五男 利孝(1594.?. ? -1637.7.25)七日市藩初代藩主



<< 長門毛利家系図 >>



毛利氏の一文字三星は・・・毛利氏としては最も古い紋章であるが、これを本紋としないで沢瀉紋を用いたわけは、沢瀉紋が元就の武功を記念した由緒あるものだからである(沼田頼輔著「日本紋章学」)

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