分廻し(コンパス)と定規で描く以下の作図にあたっては、主に泡坂妻夫著『卍の魔力、巴の呪力』と『家紋の話』を参考にしている。

また、以下の紋帖も閲覧しているが、多くの場合で同じ図柄、解説である。もっとも作図法なので同じであっても当然であろうが、作図過程にはいくつかあっても良さそうな気がしないでもない。その意味では泡坂さんの著書は非常に興味深いものがある。
『平安紋鑑』の「紋の割方」、『紋之泉』の「紋割方」、『紋の志をり』の「紋割方の法」、『図解いろは引 標準紋帖』の「紋割方」、『紋章大集成(吉沢恒敏編著)』の「割り出し方」、その他「江戸紋章集」等。


三ツ割 (基本円の上下または左右で三ツ割を行う事で六ツ割となる)
半径:基本円と同じ
中心:基本円と垂線の交点(下方)
円同士の交点二点と、基本円と垂線の交点(上方)で基本円が三等分される 三ツ割の各点を結ぶと正三角形になり、その底辺は基本円の半径を二等分する

五ツ割
半径:基本円と同じ
中心:基本円と垂線の交点(下方)
半径:緑の線
中心:垂線と水色の水平線との交点
赤線の幅にコンパスを広げる 基本円と垂線(上方)の交点を起点にその幅で基本円を割っていく

八ツ割
半径:基本円と同じ
中心:基本円と垂線の交点
半径:基本円と同じ
中心:基本円と水平線の交点
水色円同士の交点を対角線で結ぶ

十割
基本円を三ツ割 その二点を結ぶ
(基本円の半径を二等分する点を求める)
その点から基本円と垂線の交点(下方)までを半径とし、その交点に中心を置いた円を描く 基本円半径の二等分点と、基本円と新たな円との交点とを結び(赤線)これを ab とする 基本円と垂線の交点(上方)を起点に ab の長さで基本円を割っていく 正十角形、正五角形完成


「三角形、四角形を基本とする紋章の場合でも、実際は円を六つ割り、八つ割りにしてから作図してきました。五角形のときも同じです。円を十割りにすることが多いのです。それならば、最初から十割にしてしまおう」(同書P160)

十割りで正五角形を作図する場合、「円を切るコンパスが狭いため、精度は五つ割りより落ちる」(同書P160)と指摘されている通りだと思います。これは何も手書きに限らずPC作図でも言えることで、かつ、PCで作図画面を拡大して正確に描けば描く程、別の意味で誤差が発生します。例えば10cmを三等分しようとしても数値的に割り切れない事が表面化する類のものです。しかし、目視上ではほぼ正確に三等分できます。これは端数を作図の線幅が呑み込んでしまうからです。さて、今回のab線については、ab x 100.75% 程度に調整しないと円を綺麗に10等分できませんが、だからといって、泡坂さんの作図方法が使えない事はなく、家紋作図レベルにおいてはまずまずの精度であると思います。(2015.8.23)
【紋の割り出し方】 泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」参考

「梅花」の作図法(円を十割りで描く正五角形の図形)
(例)梅・桜・桔梗などのように五弁の花びらを持つ紋章を作図する時の基本形となる。この五角形が基本となる。これが逆さになることは絶対にない。

「梅鉢」の作図

「割り梅鉢」の作図


「隅立て四つ目」の作図法(八つ割り)


「丸に違い鷹の羽」の作図法(八つ割り) ☆呼称について:「たかのはね」ではなく「たかのは」である
丸の太さは紋の大きさの1/9程度が目安
*紋の大きさは、紋帳の「紋の割り方」に記述があって、紋の形状によって測る位置が決まっている。
・違い鷹の羽の作図例
水平・垂直線の交点を中心に持つ基本円を書くと四等分される 基本円と同じ半径で4つの円を書く。各円の中心点は基本円と水平・垂直線との交点 円と円の交点を対角線で結ぶことで基本円が八等分される。
次に半径を求める為に赤線を引く
赤線と斜め線の交点から基本円の中心までを半径とした円(必要なのは円ではなく半径の寸法)
その半径で対角線上に中心を持ち基本円に内接する円を4つ配置する 違い鷹の羽の輪郭ができる 羽の芯を各二本引き
次に最初の蕊を書く
この蕊と羽の芯を基準にすると蕊の位置が等間隔で次々と自動的に決まる
泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」参考
「七つ割二つ引き」の作図法

「丸に二つ引き」の作図法

「丸に三つ柏」の作図法

「糸輪に三つ割り蛇の目」の作図


中陰梅鶴(見立て紋・擬態紋)
梅の花で鶴を表現したもの。

紋が完成された江戸時代の文化は「見立て」という創作法が欠かせませんでした。見立ては一つのモチーフを他のものになぞらえて表現することで・・・紋の世界にも、見立てが頻繁に現れます。・・・紋は堅苦しいものだという先入観はたちまち吹き飛んでしまうでしょう。(泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」P134)

さて、この「中陰梅鶴」も上図と同様に実は正円にピタリと収まっている、というかそうなるように作図(2013/7/3)した。
家紋は全部ではないが、多くの場合、正円にピタリと収まるように描かれている。

「武田菱」の作図
先ず菱の高さを求めたら、六つ割りを利用してその菱を四等分し武田菱を作図する。(2015.9.3)
基本円を六つ割り 赤線は基本円の半径を二等分する 赤線と菱の交点を対角線で結ぶ 菱を構成する線を太くする

「菱に酢漿草」の作図

「菱に片喰」の作図(2013/7/12)に当たっては、泡坂妻夫氏の以下の著作を参考にした。
・菱の作図は「家紋の話」の’伝統的な菱’P(265)を、
・酢漿草の作図は「卍の魔力、巴の呪力」の’丸に片喰’(P148~150)を参考にした。

「丸に青海波」の作図


加賀百万石
寛永十一年(1634)八月四日、第三代将軍徳川家光が加賀藩第三代藩主前田利常に与えた朱印状によれば、119万2760石であった。
次いで同一六年(1639)六月二十日、利常が致仕を機に、長子光孝に80万石を与えて本藩を継がしめ、次男利次に10万石を与えて富山藩を、また三男利治に7万石を与えて大聖寺藩を、それぞれ分封して独立させ、自らも養老封として22万石を領したことから、本藩の石高は減少することとなった。
このうち養老封は万治元年(1658)十二月二十八日、利常の死去を受け第五代綱紀が継いでいる。このあと、寛文四年(1664)四月五日、徳川第四代将軍家綱が加賀藩第五代藩主綱紀に与えた朱印状では、102万5000石となっている。約102万石で、いわゆる加賀100万石の名はこれから生じたものである。(清水隆久著「百万石と一百姓」)(2014/9/2追記)(2014/9/16 原文は石高が漢数字表記であるが、読みやすいように、これを数字に書き直した)


藩祖利家の家紋は星梅鉢

・前田利家時代の旗紋・家紋は「素梅鉢」(我里注:星梅鉢のこと)に終始しているようである。(高橋賢一著「大名家の家紋」P227 昭和49(1974)年6月15日初版)

・藩祖利家の時、すでに梅鉢を家紋にしていたが、・・・その梅鉢は梅の花をデフォルメして、五輪の花びらを大きな丸で表現し、真ん中に小さな丸を置くデザインで、星梅鉢と呼ばれるものであった。この利家の星梅鉢は前田家の発展に伴い変化する。(楠戸義昭著「日本人の心がみえる家紋」P147 2002年12月15日初版)
(2013/8/30)


<< 加賀前田家系図 Ver. 1.3 (2013/7/4) >>


・加賀藩第二代藩主・利長の家紋を除いて(利長の家紋は今のところ楠戸義昭氏の先述の書籍でしか確認できない為)、全て家紋を差し替えた。この時、沼田頼輔著「日本紋章学」の図案を参考に、かつ、泡坂妻夫著「卍の魔力、巴の呪力」の梅鉢の作図法に則り(紋の割り出し法に従って円を十割りにするところから始める)、さらに加賀前田家一門の梅鉢シリーズの一環としての統一性を意識して新たに作図したものである。

・光高が急死した正保二年(1645)の六月十三日、綱紀は将軍家光の命によって父の遺領をついだ。時に年わずかに三歳であったから、小松(石川県)に隠居していた祖父利常が政務をみるように命ぜられたのである。このときの領地は八十万石であった。
加賀藩領は、俗に百万石といわれるが、寛永十一年(1634)の利常にあてた家光の領知状では、加越能三カ国で百十九万二千七百六十石となっている。しかるに、同十六年に利常は八十石を長子光高に譲り、自分は小松に退老して新川郡(富山県)及び能美郡(石川県)の一部で二十二万二千七百六十石をもって養老領とした。
同時に、次子利次に十万石、三子利治に七万石を与えて富山・大聖寺(石川県)両藩をつくらせ、東西の支藩とした。
綱紀は、この光高の遺領をついだわけであるが、万治元年(1658)に利常が死んだとき、その療養領は、後述する近江国(滋賀県)の今津・弘川両村とともに綱紀の有に帰し、合計百二万五千石余となったのである。
(若林喜三郎著「前田綱紀」より)

追記(2013/8/30)
・Wikipedia の「前田利家」の項によれば、七日市藩初代藩主利孝を四男でなく五男としている。→ こちら
四男 利常(1594.1.16 - 1658.11.7)加賀前田家三代
五男 利孝(1594.?. ? -1637.7.25)七日市藩初代藩主



<< 長門毛利家系図 >>



毛利氏の一文字三星は・・・毛利氏としては最も古い紋章であるが、これを本紋としないで沢瀉紋を用いたわけは、沢瀉紋が元就の武功を記念した由緒あるものだからである(沼田頼輔著「日本紋章学」)

Ads by Sitemix